【フィリピン】マニラ スラムツアーに参加してみた!
こんにちは、FITNESS ENGINEERです!
フィリピンは世界的にみても、けして豊かな国ではありませんが、めちゃめちゃ発展して来てます!アメリカの投資が半端ないです!しかしながら、その影とも言うべき圧倒的な貧富の差が生まれてきています。この現実に目を向けて、「フィリピン」という国を少しでも理解して帰りたい。そんな思いでスラムツアーに参加しました。
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スラムツアーとは?
貧困支援NGO「スモーキー・ツアーズ」が主催しているツアーです。ここから予約出来ます。(http://www.smokeytours.com/)
フィリピンの首都マニラの発展は目覚ましく、地方からの出稼ぎ労働者が溢れかえり、アジアでも有数の人口密集地域になりました。しかしながら、そんなに多くの人を受け入れられる社会システムはまだ整っておらず、市街地で発生したゴミの処理に困りました。そこで、都市部からほど近い「トンド地区」と呼ばれる場所にゴミを集めてきてただ単純に捨てる場所を作りました。日本人がイメージするようなゴミ処理処分施設ではなく、集めてきたゴミを分別もせずただ捨てる場所です。様々なゴミが入り乱れてゴミ山が形成されます。生ゴミも含まれているので、発酵し熱を持ちます。この熱で燃えやすいゴミが発火し、常に煙を発していたそうです。これを遠くからみると山から煙が立ち上っているように見えるので「スモーキーマウンテン」とこの場所は呼ばれるようになりました。
このスモーキーマウンテンはすごく劣悪な環境ですが、地方から都会に出て来たにも関わらず、仕事が見つからない人達がたくさん住むようになりました。なぜかというと、このゴミ山の中からお金になりそうな物を見つけて売ることで最低限の生活が出来るからです。ゴミを拾って生活する「スカベンジャー」と呼ばれる人たちがこの地域に生まれました。このゴミを捨て場は非常に危険で、衛生環境がよくないことだけではなく、ゴミを捨てに来たダンプカーにひかれてしまったり、小さな子が連れ去られて人身売買が行なわれるなど、フィリピンの発展の闇の部分がここにはありました。この問題は世界各国に報道され、フィリピン政府は避難を浴びました。イメージが悪くなるのを恐れたフィリピン政府はこのスモーキーマウンテンの閉鎖を決定し、低所得者向けのアパートを次々に建てました。
「スモーキーツアー」立ち上げ当時は、この「スモーキーマウンテン」の現状を見に行くスタディーツアーだったそうですが、閉鎖されてしまったため、ツアー名はそのままに、スモーキーマウンテン近くに住んでいたが、アパートに住めるだけのお金のない多くの貧しい住民が現在、移動して生活している「バセコ地区」というところを散策するツアーに変えたそうです。私はこのバセコ地区ツアーに参加しました。
フィリピン バセコ地区ツアースタート!!
このツアーの始まりは、まず「CARRIEDO STATION」駅前のマクドナルドから始まります。ここが待ち合わせ場所となっており、ツアーコンダクターとその他の参加者が集まり次第出発となります。私の時はベルギー人の女子大生5人組と同じツアーになりました。ここからバセコ地区へはジプシー(乗合バスみたいな乗り物)とトライシクル(バイクタクシー)を乗り継いで現地に向かいます。フィリピン人ガイドさんがいるので現地語で交渉してくれます。なんとも安心です!
ディープな本来の姿の「マニラ」へどんどん近づいて行きます!
生活感溢れるアジアな感じがして来ます。
スラムの中は基本、写真NG!!
ツアーポリシーとして、原則、スラム内での写真撮影は禁止です。確かに、自分たちが住んでいる家の前とか家の中を勝手に撮影されたらいい気分はしないのは世界共通です。その代わり、家の中を見せてもらったり、仕事場を見せてもらったりしました。残念ながら写真がないのでお見せできませんが、驚いた事にスラムの中にインターネットが出来るお店があり、10分1ペソとかでPCを利用することができます。スラムに住んでいる人もFacebookやE-Mailアドレスを持っており、一日数回利用するようです。めちゃめちゃハイテクです。理由を聞くと、仕事を探すときにメールアドレスが必須だそうで、1人1個メールアドレスを持っているのは当たり前なんだそうです。
そのほかにも、マニラ市街地の中華料理屋さんで使うニンニクの皮むきをして生計を立てている家族の仕事場を見せてもらったり、スモーキーツアーが無料で運営している図書館を見せてもらったりしました。
この地域に住んでいる人は金銭的には貧しいかも知れませんが、そこに住む人達はとても輝いていました。海沿いのため、高潮の被害に会うこともしばしばあり、家が浸水してしまったこともあるそうです。しかし、大変な生活の中にも現代人が忘れかけている大事なものをちゃんと持っているように感じました。それが何かは、現代人の私にはうまく説明できませんが、あえて表現するとすれば、「愛」でしょうか。家族で助け合い、一生懸命生きている絆が初対面の私にも伝わって来たのだと思います。
次回は、フィリピンマニラの墓地で生活している人達の事を書きたいと思います。
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